(感想)フラクタル 第10話「僧院へ」
第10話 「僧院へ」
フラクタルの善悪は、"こころ"と"精神"、自然と人工の差なのではないか。
内容的にガラガラだからこそ、考えをふくらませて愉しめばいい!!
演技力が画というよりは、本作はそういう楽しみ方をすればいいと思う。

・クレイン 小林ゆう ・大爺 西村知道
・フリュネ 津田美波 ・ダイダラ 松丸幸太郎
・ネッサ 花澤香菜 ・ゴーワン 白石 稔
・スンダ 浅沼晋太郎 ・兵士 倉富 亮
・エンリ 井口裕香 ・アラバスターの女 前田このみ
・モーラン 島本須美 ・老巫女 丸山ゆう
・バロー 宮本 充 ・アラバスターの兵 椙山貴夫
・サンコ 今野宏美
・タカミー 宮下栄治
・ディアス 前野智昭
【スタッフ】
・脚本 岡田麿里
・絵コンテ 伊藤智彦
・演出 伊藤智彦
・作画監督 田中裕介・林 勇雄
【オープニング・エンディングテーマ・挿入歌】
・OP :『ハリネズミ』 (歌:AZUMA HITOMI)
・ED :『Down By The Salley Gardens』(歌:AZUMA HITOMI)
・挿入歌:『昼の星』
【あらすじ】
ついにロスミレ派と僧院の全面戦争が始まってしまった。
僧院を急襲するロスミレ艦隊、応戦する僧院、そのさなかに、飛行船に
乗ったクレインとネッサがやってきて、グラニッツと合流する事に……!?
"フラクタルの是非"
全ての人間に欲望という名の窓に微笑みかける満たすフラクタル、
そこには人々の幸せが満ちている。だが、ロスミレ派から見れば
そこには不幸が満ちている。その幸せの差はどこにあるのだろう。
フラクタルのもたらす"人々の幸せ"と、ロスミレ派の"人間らしい
幸せ"、どちらも幸せであって、見る方角を変えれば不幸である。
この世界での"幸せ"、それは視点で変わる、では両者の視点は?
じぶんは"心的"と"精神的"の2視点ではないかと思う。両者は普段
は同一のものとして扱われるが、ここではニュアンスを異ならせる。
例で説明するならば、前者の"心的"幸福感は、家族と何事もない日
を平凡に暮らしている時の気持ち、そして後者の"精神的"幸福感は
麻薬の投与による興奮的幸福感ではないだろうか。心から得られる
幸福は自然であり、精神的安定は人工的なものから求められる。
もちろん、現代の法に照らして考えてしまうと後者は問答無用に非
となるが、そこは麻薬を精神安定剤に置き換えてくれるといいだろう。
不安定状態を落ち着かせるために服用する薬剤、そこに法の処罰は
ない。その状況において、幸福感、安らぎ感を得られるのは同一だ。
両者どちらも否定をすることは出来ない。そこに違いは自然と得ら
れるものか、人工的に得られるものかの違いしか無い。遊園地での
楽しい時間は自然と得られるが、乗り物という人工物からも楽しい
時間、気持ちは得ることが出来る。どちらに善悪もあるわけがない。
まさに祭司長とフリュネの議論はここに執着するのではないか。少
なくとも是非を、善悪を、優劣を論ずる上ではここに執着するだろう。
あとは状況が左右している、時の流れ、慣れが一歩を躊躇わせる。
部屋に引きこもりPCに明け暮れ、家族との触れ合いを長らくしては
いなかった人が、突然PCを取り上げられ、家族と触れ合う時間を急
に増やされたら、それは触れ合って履いても幸せではないだろう。
逆に、触れ合いに幸福を感じていた人を唐突に部屋に閉じ込め、その
代償として娯楽品を無数に与えたとしても、即座に幸せを感じるかと
いうと、それはないだろう。結局、祭司長もフリュネも正しいのである。
フラクタルか、ロスミレか、どちらが善でどちらが悪か、どちらが優
で、どちらが劣かなどとは決められない、人の幸せの形は無数にあり、
そして時間がまた、別の要素として関わって決まるものだ、と、考え
られるのではないだろうか・・・。
"世界に愛されるか"
どうやら祭司長だから選ばれた"フリュネ"というわけではないよう
ですね。前回、前々回の内容から、量産されているフリュネの中で
優秀なものだけが残される、そして生かされていくと考えたけど・・・
祭司長が量産された肉の器、つまり今のフリュネと同じ境遇の人物
であるのは、"母様・・・いえ、姉さま"というセリフと祭司長の発言
から確定できるでしょう。でも、その生き残りでさえもダメなのか?
祭司長はフリュネのことを、"世界の愛しい娘"と呼び、自分自身を
"世界に愛されなかった娘"と言っている。その世界に愛される、と
愛されないとはどういうことなのか、優秀な個体ではあるけれども、
再起動をすることが出来なかった個体、ということなのでしょうか。
フラクタルシステムの再起動にはカギ、つまり二人が必要で、その
二人がひとつになるときに、システムは再起動を行うことが出来る。
言わずもがな、一つは肉の器たる祭司長、もう一つは心、ネッサ。
器たる人物は、正直変化します。フリュネだって周りのみんなの
おかげで"変わった"し、研究所で出会った"フリュネ"も他の子とは
違う、特別になった。では心たるネッサは?人格は、変わらない。
そこの肉の器たる方に関係があるのでは?二つがひとつに、それは
ネッサが、器たる方を受け入れなければ、決してなされるものでは
ない、ネッサに好かれなければ、起動することは出来ないのでは。
フラクタルを生み出した少女の人格・ネッサ。世界を幸せで満たした、
そのシステムによる世界を構築した、ネッサ。ネッサが、今の世界
そのもの、つまり、"世界に好かれる=ネッサに好かれる"と考える
ことも、出来るかも知れないなと思いますね。
"最終回へ向けて・・・"
ということで、上までちょっと堅苦しく書いてしまったので最後は
軽く書こうかと思います!!予定では、次回の第11話「楽園」が最後
ということで、この物語もいよいよ結末を迎えることになります。
今この時点では、上みたいに壮大に考察っぽい妄想をふくらませて
いますが、案外あっさりとした結末かも知れないなとも思っていたりw
何しろいきなりパロディで始まった物語ですからねぇ~笑
それでも、期待はしております☆気になることもまだまだ残っては
いますからね!例えば、ディアスの目的、とか。彼は"愛で世界を"
と宣ってますが、大体"愛"を満たすとか言ってる奴は危険です・・・。
ディアスは今のところ、そういう視点でも怪しすぎますよね。僧院
を潰したい、フラクタルを潰したいというのは本音のようですが、
果たして彼はその後、何を考えているのか・・・?
前回、クレインがスンダに問いかけたのが、ここで生きてきますね。
ディアスは、スンダは、フラクタルがなくなった後の世界をどうし
たいのか?ここは注目すべき所だと思います。
長くなるのでここでもう締めますが、次回は最終回。注目としては、
フラクタルに関すること、その後の世界に関する結末、仲間たちの
こと、そして、ずっと一緒にいると約束した3人のこと・・・でしょう。
紆余曲折、様々な世間での風当たりがありましたが、個人的には
結構好きだった本作、最終回の見事なストーリーに期待が膨らみます!
<過去記事>
・第1話 「出会い」
・第2話 「ネッサ」
・第3話 「グラニッツの村」
・第4話 「出発」
・第5話 「旅路」
・第6話 「最果ての町」
・第7話 「虚飾の街」
・第8話 「地下の秘密」
・第9話 「追いつめられて」

でわまた。。。
- 関連記事
-
- (感想)フラクタル 第11話「楽園」
- (感想)フラクタル 第10話「僧院へ」
- (感想)フラクタル 第9話「追いつめられて」
| フラクタル | 02:11 | comments:0 | trackbacks:37 | TOP↑