(感想)フラクタル 第3話「グラニッツの村」
第3話 「グラニッツの村」
管理された自由とは果たして"自由"と言えるのでしょうか?
そして、意外に血なまぐさい壮絶さを伴っているのかもしれない・・・

・クレイン 小林ゆう ・大婆 千々松幸子
・フリュネ 津田美波 ・大爺 西村知道
・ネッサ 花澤香菜 ・グラニッツの村人 岡本嘉子
・スンダ 浅沼晋太郎 ・医者 倉富 亮
・エンリ 井口裕香 ・老巫女A 丸山ゆう
・サンコ 今野宏美 ・老巫女B 水落幸子
・タカミ― 宮下栄治 ・老巫女C 吉田安愉子
・ブッチャー 近藤浩徳
【スタッフ】
・脚本 岡田麿里
・絵コンテ 藤森かずま
・演出 伊藤祐毅
・作画監督 近岡 直
【オープニング・エンディングテーマ】
・OP:『ハリネズミ』 (歌:AZUMA HITOMI)
・ED:『Down By The Salley Gardens』(歌:AZUMA HITOMI)
【あらすじ】
フリュネを追っていたエンリにネッサと共に捕らわれてしまったクレイン!
連れてこられたのはフラクタルシステムに頼らない生活を送るロストミレニ
アムの人々が住むグラニッツ村だった―。旧時代のものがあふれるその村に
ビンテージ好きなクレインは興味津々、好奇心を抑えきれない。
自分が今まで知らなかった世界がクレインの前に広がってゆく。リーダーの
スンダはどうやらクレインがフリュネの行方を知っていると考えているよう。
そんな中スンダ達はフラクタルシステムに大きく関係のある「星祭り」襲撃
を企てていて…。
"グラニッツの村"
いきなり飛行船(?)みたいな描写がなんども言いますが、ジブリ
な感じを与えてくれますねぇ・・・その他色々なところが・・・w
さて、そんな前回さらわれたクレインとネッサが連れてこられたのが
エンリの住む村でもある、現在にあってフラクタルシステムに頼らず
旧時代のものが溢れ、人々が人として活動する、グラニッツの村。
このあたりがまたジブリ・・・いや、もうやめましょう。ビンテージが
大好きなクレインには堪らない様子ですね、思い切りはしゃぎ過ぎw
もちろんネッサも騒ぐけど・・・この村の人はゴーグルのようなものを
付けないとネッサが見えないようですね、ちょっと寂しそう・・・
そう、ネッサはドッペルであってフラクタルシステムの産物ですから、
体内にフラクタルターミナルなるものを埋めこまれた人、即ち現代の
普通の堕落した生活を送る人々でないと見えないわけですねッ汗
そしてサラッと出てきましたが、この体内に埋め込まれているという
フラクタルターミナルというのが何やら重要な感じ。これがどんな物
なのかってのはまた↓で壮絶な展開と共に明らかになるので後述でッ
"本当の自由"
このオジサンが言ったことに対して、クレインは結構カチンと来る物
が有ったようですね。やはり、この"自由"に対する考え方は、頼るか、
頼らないかの生活を送ってきた人によって変わってくるのは当然です。
クレインたちフラクタルシステムに頼る人たちの考える"自由"は、前回
彼の両親が言っていたような、互いが互いを束縛しないような、個人が
ダラダラと相手を気にせず生活することが出来る、これを表していました。
でも、グラニッツ村の彼が言っている"自由"というのはそんな生活スタイル
を言っているのではなく、『"人"としての"心"の自由、"人"たる自由』の
ことでしょう。
思えばクレインの両親たち、即ちロストミレニアムの人々でない人たちは、
その"自由"な生活を得るためにフラクタルシステムにすべてを委ねている
わけです。でもこれは逆に考えればフラクタルシステムによって作られた
"自由"であって、管理されている、ある意味束縛された"自由"ですよね?
でも、グラニッツは違う。ここの人たちはフラクタルに頼らず、人間的な
温もりのある活動によって、"真に自由=人として装置に管理されない自立"
的な生活を送っています。もちろんそんなここの人達には他人と共にいる
という行動を取るし、それを願っている、楽しんでいます。
それは、最初に奥様&老婆が共に歩いてきたことや、歓迎会での宴でも
表されてましたね。人としての、みんなで集まっての人情ある宴会、
そこでの人たちはとても楽しそうでした。
クレインが元いた街では、人は必ず一人で寝ていたりしてましたからね、
(あっ、思い返してみれば細かく描写されていたのかも知れませんねッ!)
果たして、どちらが"自由"であり、"人間"なのか・・・
クレインが望む"自由"は果たしてどちらでしょうかね・・・?
心で望むモノ、それが今までの自分と対立してしまうが故に、思わず反抗
的になってしまっているだけなのかも知れませんね・・・?
"星祭り"
この"星祭り"・・・フラクタルシステムに支配されたこの世界にあって
かな~り、というか何があっても参加しなくてはいけない行事・・・
その実態は・・・"ナノマシンのアップデート"
フラクタルターミナルを体に埋め込み、その利益を得ている人だって
感情くらいはある、なら思うはず・・・"こんな生活で果たしていいのかな"と。
じぶん達だって、忙しい時は自由な時間が欲しい、ダラダラしたいと
思いますが、逆にダラダラする時間ばかりあると、果たしてこんなの
でいいのだろうか?と思えてきますからね、まさにそれと一緒でしょう。
そんな疑問・感情を打ち消すのがこの"星祭り"と呼ばれる洗脳儀式だと。
所詮、そのような感情はナノマシン的には"バグの一種"のような扱い
なのでしょう。それをアップデートで抹消する・・・と。
なるほど、この事実も知っていたからこそ、余計にグラニッツの人は
本当に"自由"なのかと熱く叫んだんですね。アップデートによる抹消
なんて、本当にそれこそ"人"ではなく、"機械"としての処理ですからね・・・。
グラニッツの人々は、"人たる人"を貫きたいと思っているのでしょう・・・。
"妨害"
だからってまさか祭りの妨害でガチな殺し合いだとは思いませんでしたねっ汗
エンリが銃を担ぎだしている時点でまさかとは思ってましたが・・・まさかっ
爆竹で混乱させるとかがせいぜいだと思っていたのですが、いきなり警備
の男を蜂の巣にしてさらに一般人お構い無く巫女もろとも蜂の巣って・・・
ガンガン流血、ってか射殺。いきなり戦争的な壮絶さ、悲劇さを含んだ話
になってきました。そして、一般人があっさり殺されるのもまた印象的、
まるで人形か、機械のように撃ち倒されていきました。
でも、グラニッツのあの太っちょい奴がヤラれた時とかはやはり人間が
ヤラれた!!ってイメージを与えます。この辺りにも雰囲気的差がありますね。
おかえりなさいませ、姉さま。
儀式の中心で、恐らくこのアップデートに主要な役割を果たして
いた巫女は、なんと姿形声まで完全にネッサ、ネッサもネッサと
認める・・・ネッサでしたッ
何が何だかわからない・・・戦いも続いているし・・・
そんな機関銃とビーム(?)が飛び交う中、歌声と共に現れたのがクレイン
がまさに探していたフリュネ!!
その現れたフリュネに対し、ネッサに似た彼女が放った"おねえさま"と
言う言葉、これは一体どういう意味なのでしょうか?
そしてちょっと先取りすれば、なぜフリュネは数いる、この世界を、
フラクタルシステムを支える重要なキーであるネッサを、一人連れ出し
たのか・・・彼女は何をしようとしていたのか、いや、しているのか・・・?
この辺りからが次回以降の注目ポイントになりそうですね!!期待ですッ☆
<過去記事>
・第1話 「出会い」
・第2話 「ネッサ」

アニメ感想
でわまた。。。
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